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zoom RSS 教えてもらうこと

<<   作成日時 : 2011/01/04 00:37   >>

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昨年、飛び込みでトレイルランニングに行ってきました。

実は、何にも知らないままに「おもしろそう!」と言う感じで、今年の4月にある青梅高水トレイルランニングの15キロに申し込みました。
ところがトレイルランニングを調べるうちに、なんだかとっても大変!と言うことがわかってきたのですが、1人参加はさびしい!とSNSで声をかけてみたところ、一緒に参加してくださる人が見つかり、今更ハードそうだからやめようというわけにはいかない・・・。

たまたまそのトレイルランニングは、青梅のコースを走るということだったので参加させてもらいました。

ハイキングをやったことがあるくらいで、登山経験もなし。
当然、行く前からついて行けるのかとても心配だったのですが、主催している方がとても世話好きな感じで、参加者の方もそれに賛同しているため、こんな私でも何とか最後までついていくことができました。
でも、登りは完全に歩いて、くだりはへっぴり腰。
すがすがしさはあるものの、「なんでこんなことに参加しようと思ったんだろう・・・。」という思いが、チラッと脳裏を掠めました。
でも後半、安全のため後ろについてくれていた主催者の人が時々くれるアドバイスに従い、全速力(私なりの)で山道を駆け下りた時には、なんとも言えない爽快感で、すごい〜、駆け下りてます!私!と、感動すら覚えました。

こういう時に、「教わる」ということに考えが飛ぶのは、一種職業病でしょうか。
自律的に学ぶこともとても重要なのですが、ちょっとしたことを教えてもらうと、今までどうしたらいいのかわからなかったことに一穴が開き、飛躍的に進歩することがあります。
トレイルランのくだりの走り方なんてまさにそうで、コツを知らないまま闇雲に走っても、怖さが先立って速くは走れなかったと思います。また、走っているうちにコツをつかむには時間もかかり、人によってはつかめないまま終わる人もいるかもしれません。私は元々運動神経が鈍いので、コツを教えてもらわなかったら、どう走ったらいいか自分で気づくことはないタイプだと思います。

「学ぶ」と言うことにおいて、先んじている人からの一言というのはとても重要であり、「教える」ということは、決して軽んじられることではないと思います。
ただ、その「教える」が、一方的に何の工夫もなく情報を覚えさせるようなことに終始するのでは、「教える」とは言えないのではないでしょうか。
どのタイミングで何を教えるか、それが見極められる教師と言うのは、やはり力量があると言われるのだろうなと思います。

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